二年前の大震災は原発の爆発も伴った史上初のものでしたが、それを機に宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」が日本だけでなく、世界中に注目されました。
とりわけ、被害者の人がこの話に励まされ、再び生きていくという話を観たり、聴いたり、読んだりした時は、改めて賢治の偉大さを知らされました。
そもそも、それは手帖に書き留めたもので、自らの死を目前にしての、せめてもの願いと祈りのようなものでした。ですから、作品化する予定はなかったのです。が、それが幸いして、同じように苦しむ後の人々の心に響くことになったのでしょう。
原発の爆発による放射線の被害は今後大変心配されますが、若い人たちや子供たちには細心の注意を払って生きて行ってほしいと思います。
賢治の意志を継いだ小出裕章さん(京都大学准教授)が、40年にわたり原子力の本当の恐ろしさを訴え続けて頑張っています。本屋さんにも新書が並んでいますよ。
賢治には「八戸」という名作もあります。大正15年8月上旬、二人の妹と小さな甥を連れて八戸の海にやってきたのでした。鮫の海に面した旅館に二泊して、 種差海岸や蕪嶋を訪ねています。当時は完全な島だった蕪嶋に渡り、ウミネコの大群に大変感動したのだそうです。食べ物では、ウニとアワビがおいしかったよ うです。
病棟 職員家族 北限の海女第1号の子孫 中川真平でした。

「賢治と八戸」 -病棟 中川-

2013年05月10日
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